210「伝説、再始動」



シャ乱Q イルカショーで復活宣言(デイリースポーツ)



もはや、曲作りはアレンジャー頼みとなり、
己の才能はすでに枯渇した「名ばかり」のプロデューサーだと噂されて久しい、つんく♂
そんなもの根も葉もない話だと一笑に付す半面、およそ8年もの間、上質のアイドルポップスを、
それこそ惜しげもなく量産し続けてきた彼の仕事振りを鑑みた時、
あるいはそれも、あながち突飛な話でもないのかも…などと思いたくもなり、なんとも複雑な気分だ。
もちろん、事の真偽は、彼に相当近しい人間でなければ解りえるはずもないのだが、
ボクとしては、はっきり「それはない」と言い切るだけの自信を実は持っていたりもする。
今回5年ぶりに再始動を果たしたロックバンド「シャ乱Q」。
それは、つんく♂のプロデューサー業の原点とも言える存在であり、
シャ乱Q時代から彼の音楽に触れ、ロックバンドとは言いながら、
時には歌謡曲的であったり、時にはコミックソング的であったりと、
その幅の広さを、大いにたっぷりと味わってきたボクだからこそ、
彼のコンポーザーとしての「底」など、これしきの事ではまだ見えぬと断言できる訳で、
シャ乱Qの音楽性をつぶさに紐解いていく事で、つんく♂という稀代のサウンドメーカーの持つ、
プロデューサーとしての真のポテンシャルの高さは、容易に浮き彫りとなるのである。


ハロプロが受け継いだシャ乱Qの遺伝子とは。
突き詰めれば、それは「柔軟性」という一点に集約されていくとボクは考える。


先に書いた、シャ乱Qの持つ音楽性の幅の広さの裏にあるものとは、
ロックバンドだからというエクスキューズで堅苦しくポリシーを定める事なく、
今やりたい音楽や、時代に最も受け入れられているエッセンスをどんどんと取り入れ、
それを自分たち流に料理していくという柔軟な思考であり、
『シングルベッド』で大ブレイクし、プロデュースを彼ら自身が手がけるようになって以降、
特にその傾向は顕著となっていく。
そしてハロプロ楽曲は、そんな後期シャ乱Qの持っていた
「何でも来い」の姿勢を忠実に受け継ぎ、今もって尚、変幻自在の趣きである事はご承知の通り。
ここで重要なのは、プロデューサーとしてはあえて自分の形を作らずに、
良いと感じた物なら、どんなものでも自らの糧にしてしまうという、彼の姿勢である。
もちろん、ミュージシャンとしての彼ならば、それなりのテーマも持ってはいるだろうが、
少なくともプロデューサーとしての彼は、何色にでも染まる「無色透明」の存在であると言える。
そうでなければ『好きすぎてバカみたい』と『ギャグ100回分愛してください』の両立など、とても出来まい。
自分はこういうテーマで音楽をやるのだという決め打ちがあると、必ず頭打ちとなる時がくる。
多くのミュージャン系プロデューサーが、彼ほどの功績を残せていない理由は、実はそこにある。
コンポーザーとして、どうしても主張したい自らの音楽性。
それを否定し、なんでも来いという懐の広さを持っているつんく♂の事である。
よもや「ネタ切れ」とか「スランプ」などという状況が存在するはずもない。
だからこそ、彼のプロデュース業は、いつどんなときであってもリアルなのだと、はっきり言えるのだ。


今回のシャ乱Q再始動は、つんく♂の「まだまだ終わっちゃいない」の
メッセージを体現できる恰好のチャンスであるとボクは思っているし、
彼のプロデュース業に疑問を抱く、ふつつかなヲタの皆さんに、
つんく♂の持つ底知れない「妖気」を存分に味わっていただきたいと、
彼やシャ乱Qの音楽を愛する者の一人としては、そう願っていたりするのである。