388「ノン・タッチ」




先週、突然パソコンが不調となり、ほぼまるまる1週間、
OSの再インストールやらデータの移し変えやらなんやらの煩雑な作業に追われ、
ほとんどまともにネットにアクセスできなかった。
結局、それが主原因でコラムを3本分休載するハメになってしまった訳だが、
実のところを言えば、どうにかすればコラムを書いて上げることくらいは簡単にできた話だった。
もちろんPCのアクシデントも休載の原因には違いないが、前からぼんやり考えていた「ある事」を、
このアクシデントを機会に実際試してみようと思って、あえてコラムに手をつけなかったのである。


実は、先週1週間、ボクはハロプロモーニング娘。に関するあらゆる情報を、
わざと自分から避けるような形で生活をしていた。
足を踏み入れれば、確実に情報に触れざるを得ないインターネットの世界に、
物理的に近づけないという事情を上手く使って、テレビやビデオ、そしてDVDなどにも触れず、
とにかく、生活の中からハロプロ的な要素を一切排してみたのである。
ここ8年ほどは、生活上の優先順位のトップが常にハローという状態が続いていて、
生活のリズムもハローが中心であると言っても大げさではないほど、
とにかく「イの一番」な存在として、ハローとモーニングはボクの中に君臨していた。
ハロプロなしでは生きていけない」、誰かの歌のタイトルではないが、
そういう生活が当たり前のようになっていた、ボクの2000年代。
その一方で、例えば自分の生活上からハロプロが消え去ってしまったとき、
ボクという存在はどうなってしまうのだろう…という、興味深くも恐ろしい想像をする事もしばしばだった。
まあ、少なくとも自分から「ファン辞めます」などと言う事はないと思っていたし、
ボクとハローとの決別の時は、ハローが消滅する時に違いないと以前は考えていたというのもあって、
想像の域を出ないそんな話を、実際試してみようなんて思ってもいなかった。
だが、いろいろあって興醒めする事しきりの昨今、自らファンを辞するという行為が、
全くの絵空事でもなくなってきたこのタイミングで、突如PCが不調に陥り、
「フツー生活へのシミュレーション」の機会を得たのだから、これは実践するしかあるまいと、
先週の月曜日から1週間、ボクはそっとハローの元から姿を消したのである。


結果から言ってしまえば、なんとかなってしまったのである。


週末のハロコン開幕戦も参戦可能ではあったが、見向きもせずに連休中は買い物やドライブを楽しみ、
職場の女の子と飲みに行く約束を取り付け、そして、暇な時間にはテレビゲームで時間を潰した。
テレビはニュースとスポーツと、あと大好きな「水曜どうでしょう」を見るくらいで、
ラジオも車の中でFMを聴く程度。部屋の掃除をして、PCのメンテナンスをして、コンビニに買い物に行く。
そんな、「ハロプロ」や「モーニング娘。」というキーワードが一切登場しない生活を、
ボクは何の苦もなくクリアしてしまった。もちろん無理に我慢したということもなく、
ごく自然に、身体は「ハローがそばにいない生活」に順応したのだった。
そして、これを書いている今日、改めて名古屋公演の情報や、リリースの情報などに触れてみたが、
先週の反動で、テンションが高まるというほどでもなく、「おおなるほど」などと呟きながら、
いつものようにコラムのネタになりそうな話を目で追っている。
ハロプロモーニング娘。が、ボクの中で優越性を持った特別なものではない、
という事がはっきり解った瞬間だった。
それが良い事なのか悪い事なのかは知らない。
だが、あれほどまでに傾倒し、常に高揚感をもって接していた彼女たちが、
言い方は悪いが「とるに足らない」ような存在に、ボクの中でなってしまったという事実だけは、
備忘録的に、この場所に記しておきたいと思う。
もちろん、嫌いになった訳でも愛想を尽かした訳でもない。
いろいろあっての一時の気の迷いであれば、それに越したことはないのだが、
これ以上、ボクにとっての彼女たちの存在価値が「劣化」していくような事が起これば…
いけない事とは知りつつ、また今宵も、恐ろしい想像を巡らせずにはいられないのである。

100115